整骨院、院長の妻。とはいえ、よくある妻の日常です。
長女6歳育児真っ最中。
長男23週早産でお空に帰っていきました。
次男3歳、おしゃべりが上手になりつつあります。
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ことの顛末を書いてなかったな、と気が付いたので。
妊娠がわかったとき、喜びと不安と、両方だったけど
不安がかなり強かったのは間違いなく。
茶色いおりものが初期あったときなど
娘を部屋に遊ばせて、ずっとゴロゴロ寝転がっていた。
娘には申し訳ないことだったかもしれないが
どうしていいかわからず、寝たふりでもして
時間がたつのを(出産まで無事いくこと)待つしかできない心境だった。
大事にしていても、できていなかったのか
腹痛が何度かおきて、耐え難いときもあったので
病院を受診。
子宮頸管長が短いので入院、となった。19週。
ハリ止めの内服で頸管長がもどれば退院できるといわれたけど
戻ることはなく、ハリの自覚も少なかったけど
頸管長の経過はよくなく、点滴にきりかわった。23週。
28週、入院中の病院で受け入れてもらえる週数になった。
34週、自力肺呼吸できる可能性の週数に。
35週、自力哺乳できる可能性の週数に。
36週、正産期に。
点滴終了と同時にハリ返しが強く、陣痛室まで行ったけど
けっきょくおさまり、退院。
夜中寝れなかったヨレヨレと、安静入院で落ちた体力との
ダブルヨレヨレで退院。出産待ち。
37週0日、出産。
夜9時ごろから陣痛が始まり、病院についたのが
日付の変わるころ、そこですぐ陣痛室に行き生まれた。
3060グラム。
入院中はもう禅修行のきもちだったけれど
今となってふりかえってみれば
長かったけど、短かった。
そして、無事元気に生まれたことで
全部帳消しになった。
赤ちゃんパワー、おそるべし。
元気に生まれてくれてありがとう。
妊娠がわかったとき、喜びと不安と、両方だったけど
不安がかなり強かったのは間違いなく。
茶色いおりものが初期あったときなど
娘を部屋に遊ばせて、ずっとゴロゴロ寝転がっていた。
娘には申し訳ないことだったかもしれないが
どうしていいかわからず、寝たふりでもして
時間がたつのを(出産まで無事いくこと)待つしかできない心境だった。
大事にしていても、できていなかったのか
腹痛が何度かおきて、耐え難いときもあったので
病院を受診。
子宮頸管長が短いので入院、となった。19週。
ハリ止めの内服で頸管長がもどれば退院できるといわれたけど
戻ることはなく、ハリの自覚も少なかったけど
頸管長の経過はよくなく、点滴にきりかわった。23週。
28週、入院中の病院で受け入れてもらえる週数になった。
34週、自力肺呼吸できる可能性の週数に。
35週、自力哺乳できる可能性の週数に。
36週、正産期に。
点滴終了と同時にハリ返しが強く、陣痛室まで行ったけど
けっきょくおさまり、退院。
夜中寝れなかったヨレヨレと、安静入院で落ちた体力との
ダブルヨレヨレで退院。出産待ち。
37週0日、出産。
夜9時ごろから陣痛が始まり、病院についたのが
日付の変わるころ、そこですぐ陣痛室に行き生まれた。
3060グラム。
入院中はもう禅修行のきもちだったけれど
今となってふりかえってみれば
長かったけど、短かった。
そして、無事元気に生まれたことで
全部帳消しになった。
赤ちゃんパワー、おそるべし。
元気に生まれてくれてありがとう。
だいぶ時間がたって、このブログに事の顛末を
のせていなかったことに気が付いた。
少しずつ必要な情報を載せていこう。
妊娠が分かったときは、上の子と2歳違いか、とか
姑が、二人目である夫を1か月早産したときいて
私も少し早産になったりするのかもー、とか
そんなのんきなことを考えていた。
安定期に入るころ。
時々お腹が痛いけど、二人目だとこんなものかな
と思っていた。お腹が大きくなった後なら
ハリがあるとか気にしたろうけれど、まだ
おなかも大きくなる前で、危険な信号とは思えなかった。
そんなある日、お腹がぐっと下がる感覚があって
出血も少し。あ、なんかよくないことは確かだ
と思い、上の子にご飯を食べさせ、姑に預けてから病院へ。
子宮口が開いて胎嚢が見えている
大きい病院へ搬送します、といわれた。
わけがわからないままハリ止めの点滴が始まり
観光気分で救急車に。このとき22週。
おおきな病院で言われたのは
赤ちゃんが小さすぎるので、なるべくお腹に残しておきたい
でも子宮口が開いていることで雑菌により
出産になってしまう、あるいはせざるをえなくなることも、と。
ハリ止めの点滴をしながら絶対安静をいいわたされた。
そのまま4日すぎ、安心しかけたとき
またお腹が下がる感覚があり
細菌感染の数値が高いので出産しましょうとなった。
23週にはいったばかり。
出産の細かいことは辛くて書けないけど
生まれた息子はすぐに小児科医に呼吸器などの処置をされて
しばらくしてから一目合わせてくれた。
出産おめでとう、と言われたけど、あまりの小ささに涙が出た。
息子はそこからがんばって、私が退院しても入院していた。
これはもう生き延びてくれるかも、と期待もしたけど
やっぱり小さな体には負担が大きかったようで
空に帰って行った。8日の人生。
短い人生だったけど、彼は我が家の戸籍に残った。
家族の理解もあって、家族だけで葬儀、納骨もできた。
なくなってはじめて、彼を抱くことができた。
産後一か月検診で、細菌感染による絨毛膜羊膜炎が
そもそもの始まりだったと考えられる、と言われた。
原因があったとしても、スッキリはせず。
これが体験したことのひととおりの流れです。
のせていなかったことに気が付いた。
少しずつ必要な情報を載せていこう。
妊娠が分かったときは、上の子と2歳違いか、とか
姑が、二人目である夫を1か月早産したときいて
私も少し早産になったりするのかもー、とか
そんなのんきなことを考えていた。
安定期に入るころ。
時々お腹が痛いけど、二人目だとこんなものかな
と思っていた。お腹が大きくなった後なら
ハリがあるとか気にしたろうけれど、まだ
おなかも大きくなる前で、危険な信号とは思えなかった。
そんなある日、お腹がぐっと下がる感覚があって
出血も少し。あ、なんかよくないことは確かだ
と思い、上の子にご飯を食べさせ、姑に預けてから病院へ。
子宮口が開いて胎嚢が見えている
大きい病院へ搬送します、といわれた。
わけがわからないままハリ止めの点滴が始まり
観光気分で救急車に。このとき22週。
おおきな病院で言われたのは
赤ちゃんが小さすぎるので、なるべくお腹に残しておきたい
でも子宮口が開いていることで雑菌により
出産になってしまう、あるいはせざるをえなくなることも、と。
ハリ止めの点滴をしながら絶対安静をいいわたされた。
そのまま4日すぎ、安心しかけたとき
またお腹が下がる感覚があり
細菌感染の数値が高いので出産しましょうとなった。
23週にはいったばかり。
出産の細かいことは辛くて書けないけど
生まれた息子はすぐに小児科医に呼吸器などの処置をされて
しばらくしてから一目合わせてくれた。
出産おめでとう、と言われたけど、あまりの小ささに涙が出た。
息子はそこからがんばって、私が退院しても入院していた。
これはもう生き延びてくれるかも、と期待もしたけど
やっぱり小さな体には負担が大きかったようで
空に帰って行った。8日の人生。
短い人生だったけど、彼は我が家の戸籍に残った。
家族の理解もあって、家族だけで葬儀、納骨もできた。
なくなってはじめて、彼を抱くことができた。
産後一か月検診で、細菌感染による絨毛膜羊膜炎が
そもそもの始まりだったと考えられる、と言われた。
原因があったとしても、スッキリはせず。
これが体験したことのひととおりの流れです。